《世界の裂け目》
2020.11.
サイズ可変
ミクストメディア
孔を空けた石を模したオブジェを、様々な場所に置き、「 確かにそれがどこかで行われた」という事実そのものを 作品として提示した。
グループ展<ふちをなぞる:いしと祈りにまつわる考察> (出展:檜村さくら、岡本果穂、小坂透、鶴優希)にて発表。 本展は多摩美術大学Web芸術祭内において11月1日~ 3日間行われ、さらにtumblr版を11月18日まで公開した。実地に訪れられない代わりに、ZINEと称した展示の お土産のようなものを販売し、部屋の中で触覚的にも楽しめるような展示となっていた。
芸祭展示はリモートでどのような形式の作品であっても 静止画と映像として設える規定があった。このリモート展 示をするにあたって、作品を直に見られない今、それがイ ンスタレーションであっても彫刻であっても重要なのは「 確かにそれがどこかで行われた」という事実のみであると感じた。 この作品が写真作品か、彫刻作品かは特に明言していない。孔を空けた石を模したオブジェを、様々な居場所に置くたびその場をインスタレーションとしたとしても、この展示に人に訪れてもらう必要はない。物が場に置かれ作品が瞬間成立したことを見て信じられればいい。
物質として作品を作ることと、イメージとして作品を生成 することの差異について考えさせられる。石はそこに「在る」ということをただ積み重ねその集積を磨耗や積層とし て「記録」する広大な時間のメディアであり、だからこそ我 々は本物の石にこだわり、長い時間を渡り歩いた石ほど 尊く感じる。
石は在るということのメディアなのだ。
石が過ごした時間は広大すぎて、私たちは見てそれを知ることはできない。その時間をただ信じ、そしてその物質 の意味・概念に祈っている。
今回私は石と旅するように、自分の制作した石の居場所を探って回った。 孔の空いたこの石は胎内めぐりから発想している。貫通していて覗き込める孔の内部は様々な凹凸があり神秘的な 暗闇を潜めた神の世界との境界として見ることができ、そこを視線で通り抜け境界を超えると新しい現実世界が広 がっている。この孔に身体をもって通り抜けることはできないが、向こうの景色を見通せることで、この石がここにあったのだという意味は強調される。